代表挨拶・社員紹介

代表プロフィールとご挨拶

三戸 治郎(みと じろう)

出身地 広島県広島市中区
生年・血液型 1971生まれ B型
出身校 広島市立神崎小学校
広島市立江波中学校
広島県立広島商業高校
広島修道大学
家族構成 夫婦2人と息子(大学生)が一人
趣味 読書、映画鑑賞、草野球、釣り(渓流釣りから海釣りまで、特にオフショアでのジギング等)
今熱中している事 クレジットカードで如何にマイルを効率的に貯めるか?を調べる事、ふるさと納税で美味しいものをゲットすること!

自己紹介

はじめまして、広島市中区の地域密着型FP事務所、株式会社サンドアーズ代表の三戸治郎と申します。

私は、広島市中区で共働きの両親のもと二人兄弟の次男として生まれました。
小学4年生から地元のソフトボールチームに入部し、中学校では軟式野球部、高校では広島で強豪と言われていた広島商業高校の硬式野球部に進み、1年生の時は春夏連続甲子園出場、2年生の時は夏の甲子園大会で全国優勝を成し遂げた先輩達をアルプススタンドで一生懸命応援しました。
自分自身が3年生の時には惜しくも県大会の準々決勝にて、その年の春甲子園に出場した県立広島工業に逆転負けを喫し、高校生活最後の夏は甲子園出場の夢は果たせませんでした。

結局、自分自身は甲子園でプレーするという夢は叶いませんでしたが、当時の野球部での数々の貴重な経験がその後の人生でも本当に役に立ちました。
朝は6時半からのグランド整備に始まり、その後朝練の手伝い、1時間目の授業が終わると1年生全員でボール見回り&ボール拾い。夜は21時頃まで全体練習、その後グランド整備と片付けを終え、22時頃やっと学校を出て家路につく、というそんな毎日でした。
また、当時一年生は上級生に対し「はい」「いいえ」「なんですか?」の三つの単語を使ってしか会話することが認められず、「練習用ユニフォームの生地」や「被る帽子の仕様、パンツ・靴下・靴の生地や色」まで指定されており、練習に出ると学生服からユニフォームの「着替えは3分以内」、グランドでは「3歩以上はダッシュ」、勿論「練習中水は飲めない」といった「THE昭和の高校野球」を3年間経験した青春時代でしたが、何故か?野球部を辞めようと思ったことは一度も無く、日々高校野球に没頭していました。

そんな野球漬けの毎日でしたが、チームメイトを想う心、素直な気持ち、周囲への感謝の気持ちの大切さ、そして努力は決して無駄にならない事など多くを学んだおかげで私にとっての高校時代の3年間の経験がその後人生の大きな財産になったと思っています。

野球漬けの毎日の反動という訳ではありませんが、夏の県大会でチームが敗退するまで大学進学の準備を全くしておらず、その結果スポーツ推薦で挑んだ大学受験に準備不足もあって失敗。
しかしながら、母校の歴史と信用は勿論ですが、当時バブル全盛期という事もあってか、その後運良く一部上場企業に入社することができました。

が、入社後間もなく、大企業の歯車として働くよりも、大学に進学して「教師になりたい!」との思いが芽生え入社後8か月で一部上場企業を退職し、2年間浪人。その後地元の大学へ通うことと成りました。

大学に進学してからは、2年間浪人していた事もあり、野球からは離れ自分自身の将来の職業について真剣に向き合いました。その結果出した答えが教師ではなく「将来自分で商売をしたい=経営者を目指す」という目標でした。

しかし「経営者を目指す」という目標を立てながら、両親はともに会社員でしかも自営業の親戚等も周囲に全く居なかった私は、出身高校が商業高校だったこともあり、高校時代に学んだ簿記の勉強を再開して、その後税理士の資格を取ろう。資格さえとれれば将来自分自身で独立する事もできるだろうと考えました。

そこで、大学2年生からは昼は大学の授業、夜は専門学校で簿記の勉強、簿記2級の資格をとってからは、夜は税理士試験を受験するための専門学校に通い始めました。
その後勉強を始めて3年目に税理士試験の「財務諸表論」になんとか合格できましたが、約8年間の税理士試験受験生活で合格できたのは、結局この「財務諸表論」一科目でした。

ファイナンシャルプランナーを志したきっかけ

税理士の資格を取得する為には5科目の合格が必要になる中、その他の科目になかなか合格できず、且つ当時働いていた税理士事務所では社内研修等の勉強の機会もホボ無かったことから、(資格が取れそうにない)私は、税理士試験の受験勉強以外にも、もっと勉強してお客さんの為になる情報をお届けしなければ!と当時焦りを感じていました。

そんな時に出会った資格が「ファイナンシャルプランナー(以下、FP)」という資格でした。

当時、ほぼ貯金もありませんでしたが、何故かFPという仕事にピンときた私は、約30万弱の授業料を払い、土日を利用して数か月間専門学校に通い、最後には課題のキャッシュフロー計算書を含んだ提案書を完成させ無事に「FP(AFP)」資格を取る事ができました。
私が、28歳の時でした。
資格取得後は先ず両親の保険の見直しから住宅ローンの繰り上げ返済などで即200万以上の見直しの効果を出し、FPという仕事の重要性とやりがいに気付く事ができました。

その「FP」という資格との出会いが私の人生における二つ目のターニングポイントになり、FP資格をさらに活かすべくその後外資系の保険会社へ転職。
転職後は、当初お客様との出会いの創造に苦労しながらも、保険会社所属のFPとして、個人のお客様のライフプランの作成から保険の見直しなどを丁寧に手掛けると同時に税理士事務所時代の経験を基に、法人のお客様の財務や保険税務についての相談に対応させて頂くなど、日々やりがいを感じながら過ごしていました。

独立に至った理由

しかしながら、2008年に世界経済を震撼とさせたリーマンショックにより、当時1社専属(保険会社1社所属)の保険営業マンだった私は、所属する保険会社の経営が危機的な状況だった事もあり、FPとしてのお客様へのコンサルティング後に自社の保険商品を提案するという行為ができなくなりました。
リーマンショックの影響を大きく受けて経営危機に陥っている自社の保険商品を案内することに対し、その商品の提案は「本当に誠実か?」「お客様の為になるのか?」という問いかけに自分自身が納得できなくなったのです。

とは言え、保険会社1社専属の会社員だと最終的には自社の商品を案内することでしか給料(報酬)を得る事はできず、且つFPとしてのコンサルティングをお客様に提供したとしても会社員である以上、給料以外の報酬(フィー)を頂く事はできない。
このままこの会社で働き続けても、将来お客様を守り続ける事が出来ない。リーマンショック後そんな想いが急速に大きくなり、2009年1月に約9年間務めた外資系保険会社を退職し独立する事を決意しました。
このリーマンショックという出来事が私の人生における三つ目の大きなターニングポイントになりました。

現在は、株式会社サンドアーズとして、個人のお客様のライフプランの作成、教育資金の準備から老後生活資金の準備(老後2,000万円問題の解消)などの資産形成のお手伝い、また法人の財務分析からの税務、特に保険税務や相続・事業承継(M&A含む)に関するコンサルティングや各種セミナーを開催するなど、地域密着をモットーにしたFP事務所として日々活動しております。

FPとしての想い

これまで、20年以上にわたり個人・法人のお客様にFPとして接する中で強く感じたのは、『日本人は、まだまだ「お金」や「投資・運用」について学ぶ機会が少なく、正しい知識を持っている人が少ない』という事でした。これは、会社員の方も、経営者の方も、医師、弁護士や税理士などの士業の方も全てに当てはまります。

日本では、学校などの教育現場でも「お金」について学べる授業(機会)はホボありません。

お金について学ぶ機会が少ない事から、将来に対し必要以上に不安を感じ、結婚や出産を躊躇してしまったり、「投資・運用」についても正しい判断ができず、偏った判断をしてしまう人をこれまで沢山見てきました。

よって、私たちサンドアーズのFPは、日本人の金融リテラシ―を向上させ、大幅な人口減、少子高齢化を迎える日本という国においても、お客様が明るい豊かな人生を送れるような、そんな地域社会を作っていくための一翼を担いたいと思っております。

社員紹介

 

中川 美佐(なかがわ みさ)

出身地 広島県東広島市黒瀬
生年・血液型 1967生まれ
家族構成 夫と息子1人、娘2人
趣味 旅行、神社巡り(御朱印集め)、ヨガ
好きな言葉 一期一会
モットー お客さまに寄り添い、親切で丁寧なコンサルティングを心掛けております。

自己紹介

私のFPとしての在り方とは「人生の中での味方」であることと考えています。
私のファイナンシャルプランナー(以下FP)としての経歴は、毎日子どもとの大戦争を繰り広げていた専業主婦時代に友人に誘われ、2009年、外資系保険会社に勤め始めたことが始まりでした。

専業主婦時代は本当に苦戦の毎日で、はじめての子育て、迫りくる家事…
幸いにも当時、夫の仕事の関係で社宅に住んでいましたので、同じ社宅に住まわれている子育ての先輩たちに様々なことを教えてもらいながらの育児でした。
今振り返れば、もっとゆったりとした気分で子育てをしても良かったかも、とも思います。

そんな中歩み始めたFPとしての道で、もちろん外資系保険会社なので保険の大切さもさることながら、日々の暮らしの中で「お金を貯める」ということの難しさと銀行預金以外の「金融商品」を使うことでお金を貯める方法があるということを学びました。

より幅広いファイナンシャルプランニングの知識と経験を求め、2016年にFP事務所に転籍。
資産運用をすることで「お金に働いてもらう」という考え方を学び、地元広島のお客さまに「正しい」資産運用の考え方とは何かを日々お伝えしております。

FPとは、「家計管理」・「老後の年金及び生活設計」「教育資金や資産運用」「住宅ローン」などのくらしとお金に関する幅広い相談に寄り添い、親身になって一緒に人生を考えてくれる人のこと。

子育て時代に助けてもらった社宅の先輩たちのように、今までの人生経験をもとに、子育て中の方や、働く女性、ご年配の女性など、「すべての女性の人生の味方でありたい」と思っております。


平田 麻由美(ひらた まゆみ)

出身地 島根県益田市
生年 1991年
家族構成 夫と娘一人
趣味 温泉旅行
好きな言葉 一期一会
モットー お客さまに寄り添い、親切で丁寧なコンサルティングを心掛けております。

自己紹介

島根県の山の中すくすくと育った私ですが、実は、父を3歳の時にがんで亡くし、母が女手一つで育ててくれました。

生活は豊かとはい言えなかったかもしれませんが、それでも母の愛情や親戚の方々の暖かい手助けを受けながら兄と共に健やかに成長していきました。
母はとても苦労したと思いますがそれでも「毎日笑うこと、おいしいご飯を食べること」は欠かさないように、と愛情をそそぎながら育ててくれました。

そんな私がファイナンシャルプランナー(以下FP)という仕事に出会ったのは高校を卒業して就職した銀行でのことです。

銀行の窓口には様々な人が来られます。
孫のお年玉のためにと来られるご年配の方、子どもさんが生まれたからと新しい口座を作られる方、引越ししたから住所を変更したいなど。

そんな理由で訪問された人たちにいろいろな保険をご案内するのですが、お客様とお話をすると、子どもさんの将来のために準備してあげたいんだという思いや、お父様が亡くなられて残してくれた大切なお金をきちんと残しておきたいんだという思い等、様々な思いがあり、その思いに寄り添い、的確な解決策を提示するFPという職業に感銘を受けたのを覚えています。

より見聞を広げるため、銀行からFPの世界へと飛び込み現在はFP事務所のサンドアーズにて活動しています。

2020年に愛娘を出産し、現在は営業の一線から少し離れ営業スタッフを支える仕事をしつつ古くからのお客さまのフォロー業務をさせて頂いています。

今現在、私自身が新米ママで日々奮闘しています。
その経験を活かして、子どもの成長を見守りながらも、同じように悩みを抱えてるママ達や私と同世代である今から子育て・マイホーム購入・仕事をこれから頑張る世代に向けて「私も同じ思いだよ、でも大丈夫だよ」と心から寄り添えるFPとして頑張っていこうと思っています。


横山 広(よこやま こう)

出身地 広島県広島市
生年月日 1994年11月
出身校 広島市立翠町小学校
広島市立翠町中学校
広島県立広島国泰寺高等学校
広島修道大学
家族構成 妻 息子一人
趣味 フットサル、釣り(エギング、ショアジギング)

自己紹介

私は広島に生まれ、広島で育ってきました。
そのため、地元広島で成長していきたいという想いをもって過ごしてきました。

大学では経済学を学んでいたこともあり、将来は金融関係の仕事をしたい、そして人の役に立つ仕事をしたいという気持ちが強かったことを覚えています。

結果的に、私の社会人としての第一歩は共済団体に就職することから始まり、現在はファイナンシャルプランナー(以下FP)事務所のサンドアーズにて活動しています。

共済団体の職員として勤務していた際には、西日本豪雨災害がありました。
皆さんもご存じの通り、広島でも大きな被害があり、当時火災共済を担当していた私はすぐに被害現場に向かいました。
そこでお客様の声を聞き、顔を見て話し、そして補償という手助けという面でお客様のお役に立てたのではないかと感じています。

現在は、補償による手助けだけでなく、FPとしてお客様の人生に寄り添っていくことを大切にしながら、日々の相談業務に取り組んでいます。

私の目標は、お客様から「ひとまず横山に聞いてみよう」と思ってもらえるようなFPになることです。

そのため、安心できる日々の備えを一緒に考えていけたらと思いますし、お役に立てる情報をお届けしていきたいと思っています。
不安や疑問があれば、一緒になって解消していきましょう。
どんな些細なことでも一緒に考え、日々の生活に安心を提供できるFPであり続けたいと考えています。


 片元 彰(かたもと あきら)

出身地 広島県広島市
生年月日 1982年9月
出身校 広島市立上安小学校
広島市立高取北中学校
広島県立広島商業高校
神奈川大学
家族構成 妻 息子二人
趣味 ゴルフ、美味しいスイーツを探すこと

自己紹介

小学生の頃から野球に明け暮れ、高校は広島商業高校に進学し硬式野球部に入部しました。 毎日の厳しい練習や厳格な上下関係に耐え、選手として甲子園出場、全国制覇を目指していましたが、2年生の春に故障してしまい、最終学年時はマネージャーとしてチームを支える日々でした。

当時の野球部でマネージャーという立場は、まさにマネージメントをする人であり、時に監督の代わりとなって選手に指示を出す、また選手からの意見を吸い上げ、監督に進言するという中間管理職的な位置付けでした。 この経験は今でも人生の財産となっています。

高校卒業後は指定校推薦で神奈川大学に入学。 軟式野球部に入部し、2年連続の全国制覇、また3年生の時にはキャプテンも経験させてもらい、高校時代とは違う、楽しい野球を経験させてもらいました。 ですが同時に、仕送り無しの県外一人暮らし学生だったため、一日の食費100円という極貧生活も経験しながら、幾つものバイトを掛け持ちしていました。

教職課程を履修し、教員になることを目標に掲げていましたが、当時は就職氷河期と呼ばれる時代。教員採用試験も当然ながら倍率が高く、狭き門であったため、就職活動も並行して行い、なんとか大手製薬会社への内定を獲得、卒業後に入社しました。 入社後は半年間の研修期間を経て、岡山県に営業(MR)として配属されました。

その後現在の妻と出会い結婚。1年後には長男、その2年後には次男も誕生し、そのタイミングで4ヶ月間の育児休業を取得しました。 当時は男性の育児休業取得率が1%という時代、様々な意見をいただきましたが、自分の手で子育てしたいという思いと、当時専業主婦として家庭を支えてくれた妻が社会復帰に向け資格取得を目指していたため、それを支えたいという考えからの決断でした。 この経験が後に生きることになるとは当時は想像していませんでした。

製薬会社の営業(MR)という仕事は当然のように激務でした。薬という商品を扱う以上、学術知識も求められるため知識の習得は必須、そんな中、営業という側面もあるため顧客との信頼関係構築のために、朝早くから夜遅くまで得意先を駆け回り、日付を跨いで仕事をするなんてこともザラにあるという毎日でした。

そんな生活を続けること10年、ついに体は悲鳴を上げ、体調を崩し、仕事が出来ない状態になってしまいます。そして仕事を休職、その後退職せざるをえませんでした。 ここで、妻と相談の結果、妻が一家の大黒柱として家計を支え、私は家庭のことを一手に担うという、決断に至ります。つまり専業主夫となったわけです。

当時のことを思い出して妻は「育休を取ってくれたことや一緒に子育てした経験があったから、あの時期を乗り越えられた。もし育児や家事などを私一人でやっていたとしたら、離婚していたかも」と言います。 我ながら当時の自分の決断を褒めたいです。

その後は体調の回復を見ながら同時進行で少しずつ社会復帰していきます。 契約社員としてWEBライティングやインタビュー記事の作成に携わりながら、自らの経験(主夫経験や男性の子育てなど)をブログやメディアで発信していました。 2018年4月、次男が小学校に上がるタイミングを機に生まれ故郷である広島にUターン。ファザーリング・ジャパン中国という父親の子育て支援をするNPO団体の代表として、全国各地でセミナーや講演などの啓蒙活動を行ってきました。

そしてこの度、弊社代表の三戸との出会いからFPという仕事と出会い、これまでの経験を活かしてFPとして社会に貢献していきたいという想いから、サンドアーズに入社しました。 まだまだ勉強の日々ですが、これまでの自身の経験から、人生は何が起こるかわからないということを嫌というほど学び、専業主夫という経験からは家族を陰ながら支える大変さを実感することができました。

将来を予測する事が難しく、不確かな世の中ではありますが、ご縁があったお客様にはとにかくお金や子育てに関する不安を解消し、日々安心して暮らして欲しいという想いでFP業務に携わって参りますので、不安なことなどあればなんなりとご相談ください。


クラーク:村重 祐子(むらしげ ゆうこ)

出身地 島根県松江市
生年 1981年
趣味 ウォーキングまたは散歩
5年後に叶えたい夢 娘と2人女子旅

いろいろな面でお客様をサポートしていけるように日々学んでいます!


クラーク:金井 紗希(かない さき)

出身地 広島県広島市
生年 1992年
趣味 買い物・読書・カラオケ・シール集め・旅行
5年後に叶えたい夢 家族でテーマパークに行くこと

困ったときに頼っていただけるように、毎日勉強中です。わかりやすく丁寧に接することを心掛けています!


クラーク:太田 千草(おおた ちぐさ)

出身地 東京都
生年 1967年
趣味 観葉植物の水やり、DIY、アウトドア、スポーツ応援
5年後に叶えたい夢 ホストファミリーとして受け入れた各国の子たちを訪ねる歩く旅に出ること

主人の転勤に伴って全国転々とし、ご縁あって広島の地に。
お客様おひとりお一人の安心、安全をお届けできるよう、日々努力致して参ります。

 

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